福岡高等裁判所 昭和27年(う)1043号 判決 1952年10月28日
控人 被告人 田端初太郎
弁護人 高良一男 外一名
検察官 長田栄弘関与
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
原審における訴訟費用のうち、証人粟津直、同松本幸衛に支結した分を除くその余の費用は全部被告人の負担とする。
本件公訴事実のうち、被告人が(一)昭和二五年九月下旬頃池田トシヱに対し賄賂を要求し、よつて、昭和二六年二月五日同女と情交を遂げ、もつて職務に関し賄賂を収受したとの点、(二)昭和二六年四月一日頃刑事被疑者渡辺ナミ子に対し、暴行又は陵虐の行為をしたとの点については、被告人はいずれも無罪。
理由
弁護人高良一男の陳述にかかる控訴趣意は、弁護人古賀野茂見、及び被告人各提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを全部ここに引用する。
右に対する判断
古賀弁護人の控訴趣意
第一点(事実誤認)について。
(い)、池田トシヱに対する被告人の原判示第一、(一)、(イ)、(ロ)、(ハ)の各陵虐の行為は、原判決挙示の証拠によつてこれを認定するのに十分であり証拠の証明能力に関する原審裁判官の判断に経験法則の違背等、特に不合理とすべき事由があるものとは認められない。
風俗営業を営む者は、都道府県条例の定めるところに従い、営業の場所、営業時間及び営業所の構造設備等について一定の制限に服し、或は、公安委員会に、必要な届出をなすべき義務を負い、若し、これに違反するときは、一定の行政処分若しくは刑事上の制裁が課せられることのあるべきことは、風俗営業取締法第二条第三条第四条第七条の明定するところであり、原判示池田トシヱは、同法第一条所定の風俗営業を営む者であつて、同女に営業家屋構造の無許可変更、露店の無許可経営 屋号の無届変更等の被疑事実があり、被告人は、原判示有家町警察署長として、警察法第四一条第二条、有家町警察署職務規定等に基き、警察の職務の執行として、有家町警察署に同女の任意出頭を求め、同女について右事実の有無を調査したものであり、同女に対する原判示各陵虐の所為は、いずれも、右のような事実調査を行う際になされたものであること、原判決引用の証拠並びに原審証人森谷武の供述によつて明らかである。被告人において、原判示池田トシヱを、原判示のように刑事被疑者として取扱つたとの点並びに、叱責しながら原判示所為に出たとの点について、これを認むべき的確な証拠がないことは、論旨指摘のとおりであるが、刑法第一九五条にいう、刑事被告人その他の者とは、刑事司法上の被告人又は被疑者本人 証人、参考人等のみに限らず、行政警察上の監督保護を受くべき事件の本人又は関係人をも含むものと解すべきであるから、前述のとおり、警察署長たる被告人において、警察の職務の執行として原判示池田トシヱにつき、前記事実の有無を調査するに際し、同女に対し原判示各陵虐の所為に出たものである以上、事件を刑事事件として取扱う意思の有無如何を問わず、刑法第一九五条第一項の罪を構成するものというべく、又、叱責の事実の有無の如きは同罪の成否に何ら関係するところなく、従つて、原判決が、的確な証拠によらずして、池田トシヱを刑事被疑者として取扱い、且つ、叱責しながら原判示所為に出たとの旨の事実を認定したのは杜撰のそしりを免れ得ないとしても、その不当は、判決に影響を及ぼさないことが明らかであり、原判決破毀の理由とするに足りない。
(ろ)、原判示第一、(二)の事実中、原判示渡辺ナミ子に対する被告人の原判示所為が、警察の職務の執行に際して行われたものであるとの点並びに、原判示第二の事実中、原判示池田トシヱとの情交が被告人の職務に関してなされたものであるとの点に関しては、いずれもこれを徴すべき的確な証拠がないこと、論旨指摘のとおりであり、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破毀を免れない。
(は)、原判示第三の事実について、論旨は、原判示所為が公然性を欠き従つて、罪とならないものであると論難するのであるが、刑法第一七四条にいう、公然とは不特定又は多数の者が見聞し得べき情況を指称するのであつて、その猥褻の行為を現認した者の存在を要するものではない、昼間、乗客多数のガソリンカー内における猥褻の行為に公然性を否定すべきいわれはなく、原審証人渡辺ナミ子の供述によれば、被告人の原判示猥褻行為は、十、八九才位の青年も見ていた事実を窺知するに足り、原判示第三の所為が、公然行われたものであることは明らかであつて、この点に関する論旨は理由がない。
第二点(採証法則の違背)について。
所論の吉田憲一の供述は、当裁判所において、犯罪の証明がないものとする、原判示第一、(二)の事実認定の証拠として引用されたものであるので、その判断を省略する。
第三、四点(理由不備法令の解釈適用の誤)について。
原判示第一、(一)(ハ)の事実中、「自己の職務に関し」とあるのは、措辞やや妥当を欠くものがあるのであるが、同第一、(一)(イ)、(ロ)摘示事実、並びに引用の証拠内容とを対照すれば、既に、説明したところのように、「警察の職務を行うに当り」の趣旨であることが明瞭であり又、原判示第三の事実に公然性の存すること、これまた前記説示のとおりであつて、原判決に所論のような理由不備又は、法令の解釈適用を誤つた違法があるものとは認められない。
被告人の控訴趣意書に対する判断は、すべて、古賀野弁護人の控訴趣意書に対する判断と同様である。
以上の次第であるから、刑訴第三八二条第三九七条により、原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い、本件について更に判決する。
被告人に対する犯罪事実は原判決摘示事実のうち、冒頭の事実並びに第一、(一)(イ)、(ロ)、(ハ)、第三掲記の事実(但し、第一の各事実中、「叱責」とあるのを「取調」と訂正し、「刑事被疑者」とあるのを「同女」と訂正する。」)のとおりであつて、法令の適用は次に示すとおりである。
原判示第一、(一)(イ)(ロ)(ハ)特別公務員陵虐の点につき、各刑法第一九五条第一項、同第三、公然猥褻の点につき刑法第一七四条、(以上いずれも懲役刑選択)
併合罪の関係につき、刑法第四五条前段第四七条第一〇条(原判示第一、(一)(イ)の罪を最も重いものとする。)
訴訟費用の負担につき、刑訴第一八一条第一項
本件公訴事実のうち、主文末項掲記の事実(訴因第三の後半第五の事実)については、いずれも犯罪の証明がないので、刑訴第四〇四条第三三六条に従い、無罪の言渡をすべきものとする。
以上の理由により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)
弁護人古賀野茂見の控訴趣意
第一点原判決は事実誤認があると考えます。
一、原判決書第一、(一)、(イ)(ロ)(ハ)及第二について。右事実は池田トシヱに対する証人調書のみにより認定しているが渡辺昇松本幸衛その他弁護人請求の証人の証言、提出書類により明かな通り、証人池田トシヱの性格、素行、平素の言動等からして更に又昭和二十六年四月選挙に際し被告人は署長として選挙違反を内偵していたのであるが、他面公安委員並に有家町の有志の一部は選挙に関係したことから、極度に選挙違反の発覚を虞れこれを免れる為、隠謀し池田トシヱを利用し被告人の排斥を謀つた実情からして証人池田トシヱに対する証人尋問調書は真実性に乏しく信用すべきでないのに之を唯一の証拠として事実を認定することは実に危険な事であるに不拘他の証人の証言、被告人の弁解には何等の顧慮をも与えず事実を認定したのは公平な判断とは云えないし採証法則に違反したもので事実誤認の譏りを免れないと思料する。
二、仮りに証拠の採否は原審裁判官の自由な判断に委ねるとしても(1) 原審判決書第一、(一)(イ)の事実について、……叱責しながら手又は足を以て同女の陰部を弄び……陵虐の行為をなしと判示しこれを池田トシヱの証人尋問調書により認めたとあるが同調書によれば被告人が手又は足を以て池田トシヱの陰部を弄んだ事は認められるが「叱責しながら」弄んだ事は認められないのみならず「冗談とは思いましたが云々」「私は被告人の手をはねました途中で署員がやつて来る足音がしましたので私は「ホラ来た」と申しますと云々」(以上検察官尋問部分)とあり又弁護人尋問部分中「煙草を喫い雑談をし色話をした」とある如く、お互冗談で一つの色事としてなしたもので犯罪視すべき行為ではない。勿論被告人はこの(イ)の事実については否認していること記録上明かな通りである。(2) 前同第一、(一)(ロ)の事実について、原判決書によれば「……叱責しながら前同様の方法で同女の陰部を弄び……」とあり、これに副う前記証人尋問調書記載もあるが更に同証人尋問調書の該当部分を閲読すれば判る通り「被告人が陰茎を出していぢらせた」証人(池田トシヱ)が『陰茎を「大きさ!!」』と云つており、更に「ホラ来た」とも云つたと記載されておる、この一連の事情を考えると之は叱責しながらの行為であると認定することは不可能であり寧ろ双方意気投合しての情事であり冗談事であることが推認される。(3) 前同(ハ)の事実について、原判決書によれば「……同女が屋号を久連葉と変更しながらその届出をしなかつたことを叱責しながら……同女の陰部を弄び……」と判示しているが、前調書には単に「問、その時も被告人は証人に対し前と同じ様な悪戯をしたのか」「答、そうであります」とあるのみであり、この供述部分を以てしては勿論その前後の供述を綜合するも判示事実の認定は出来ないと考える。この「前と同じ様な悪戯」と云うのが具体的に如何なる趣旨か換言すれば前の証言のどの部分を意味するのか不明であるが、仮りに前記(イ)又は(ロ)についての証言と同一内容であるとの趣旨であるならそれは前記(1) 及(2) に於て述べた如く双方合意の上の情事であり冗談であつて犯罪視すべきものではないと信ずる。(4) 前同第一、(二)の事実について、同事実を吉田憲一及び渡辺ナミ子に対する各証人尋問調書により認めているが同調書その他一件記録を通じ「職務を行うに当つて」の行為であると認定する証拠は一つもない。尤も原判決書によれば「自己の職務に関し」と判示しているが当該法条には「職務を行うに当り」とあるので之を認定する証拠があるかないかが本件では問題である。而して右判示日時は日曜日であり被告人は知人の宴会に招かれ和服姿で出席しその帰途一杯気嫌で渡辺ナミ子方に立寄り冗談に「キッスしましようか」と云うたに過ぎぬと弁解している通り警察官にも私生活もあり本件はこの私生活中の出来事であつて何等職務とは関係がない。即ち本事実は何等職務を行うに当りなしたものと認定する証拠がないのみならず寧ろ被告人の弁解、証人粟津直に対する調書等からして当時の事情を推認すれば被告人の私生活中の出来事であることは明白であると信ずる。(5) 前同第一、(一)、(イ)(ロ)(ハ)及(二)を通じ刑事被疑者に対し陵虐行為をなしたと判示しているが本件記録を通じ池田トシヱ、及渡辺ナミ子を刑事被疑者として取扱つていることを認定する証拠は一つもない。(6) 前同第二の事実について、原判決挙示の証拠によれば該事実を一応認定出来るが如きも諸事情からして原判決の如く認定することは吾人通常の常識に反し不自然であると信ずる。即ち被告人の上申書に詳細記載してある通り仮りに被告人が昭和二十五年九月下旬頃情交を求めた(被告人は否認しているが)としても五ケ月近くも日時が経過しておりその間再三被告人は池田トシヱとは面会しており、事実情交の約束があつたとすればいくらでもその機会はあつた実情であり好んで路傍を選ぶ必要があろうか、当時即ち情交時の事情については被告人の上申書記載の如く双方飲酒の上いずれより言い出すともなく意気投合して関係するに至つたものと言うべく、従つて勿論被告人には収賄の犯意もなかつたものである。要するに本事実については諸状況からして被告人の犯意を認定する証拠がないと言うべきである。(7) 前同第三の事実について、「……自己の陰茎を数回ズボンより露出し之を渡辺ナミ子に握らせる等して公然猥褻の行為をなし」とあるがその認定の証拠である渡辺ナミ子に対する証人尋問調書によれば「それで私は被告人と顔を向き合せました、すると暫くして被告人は自分の「チンポ」を外に出して私の手を握り「チンポ」にひつつけましたそれで私は自分の手を「チンポ」よりはなしたのでありますそれだけのことでした」とあり判示の如く、陰茎を数回露出したことも渡辺ナミ子に握らせたことも証拠がない。又被告人が陰茎を露出したことにつき気付いたのは被告人と渡辺ナミ子のみであると本件に於ては認定される。尤も「車の中で十八、九才位の普通の青年が立つて居りましたその人も見ていたことがありました」と証人尋問調書にあるがこれが事実としても果して如何なる場面を見たか不明である。仮りに同青年が陰茎を出した場面を見たとしても同人を加えて三名のみが陰茎露出を知つたことになる。而して「車内が満員で身体がお互にすれ合い身動きが出来ない位混合つていたことも前記調書により明かであり、更に林田広太に対する尋問調書によれば「二人(被告人と渡辺ナミ子)は抱き合つた様な格好をしていた」「車の内は満員でした数は憶えません」「乗客の外の人も被告人等の仲に気付いてはいなかつたと思います」とある点よりすれば満員の車内で被告人と渡辺ナミ子とが抱合つた様な格好をしてその機会に陰茎を出したものと推認される。従つて被告人の陰茎露出は多衆の中で極めて隠密裡になされたことを証するに余りありと云うべく不特定又は多数人の知り得る状況下に於てなされたと認定する証拠は一つも存在しない。即ち本件に於ては公然なされたと認定する証拠がない。以上の如く原判決事実は事実の誤認があり之は判決に影響を及ぼすこと明かであると確信する。
第二点原判決は証拠能力なき書面を証拠とした違法がある。原判決はその第一、(二)事実認定の証拠として吉田憲一に対する尋問調書を採用しているが同調書によれば同証人は被告人の所為(第一、(二))については「分りません」と述べ更に渡辺ナミ子から聞いて知つた旨記載されている。即ち同調書の該当部分は伝聞証拠であり刑事訴訟法第三二〇条により証拠能力がないものであるに不拘之を証拠とした違法がある。
第三点原判決は理由不備の違法がある。原判決第一の各事実は「職務を行うに当り」陵虐行為をなしたものを処罰すること当該法条の構成要件からして明かなことである。然るに原判決第一、(一)(ハ)及(二)はその判示せる如く「自己の職務に関し云々」と説示している、「自己の職務を行うに当り」と「自己の職務に関し」とはその解釈を異にすること明かである。従つて判示は構成要件の具体的説示としては不完全であり理由不備の譏りを免れないと考える。
第四点原判決は法令の解釈適用を誤つた違法がある。原判決第一、(二)及第三の事実の誤認があること前叙の通りであるが、仮りに第一、(二)については判示事実が「職務を行うに当つての行為であり」又第三については単に多衆の乗合せた車内なるの故を以て密かに為された行為を「公然性あり」と原判決に於て解釈したものであるならばそれは夫々法律の解釈適用を誤つた違法があると信ずる。
第五点原判決は刑の量定が重きに過ぎると考える。仮りに叙上の主張が容れられず有罪の認定がなされるとしても人、それぞれ酌量さるべき事情があるが被告人については特に(1) 被告人の家庭の事情(詳細は記録)(2) 永年警察官として公務に尽しその間多くの功績を残していること(3) 本件により職を失い退職金も恩給も棒にふり路頭に迷うに至つたことは実刑に勝るとも劣らぬ懲罰であり、而も之は被告人の将来生存する間の苦脳であり終身刑とも言うべきであつて之れ以上被告人に実刑を科することは被告人を破滅に陥れ再起の機会を不能ならしめ、且その家庭を破綻せしめるに至るので刑政の目的からもとるべき措置でないと思料します。右理由により執行猶予の裁判を相当と考えます。